●今回のお散歩(大手町~日本橋)●
江戸の開拓に必須だった「道三堀」の名残を探して、江戸を感じるお散歩をしました。
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こんばんは!
都内在住アラフィフ主婦のnicoです。
ひとり時間を楽しんでいます。
「ひとり時間」を過ごすようになって、
頻繁に東京の街を歩くようになり、
江戸・東京の歴史や成り立ちに
興味を持つようになりました。
今回はこの江戸の開拓に必須であり、
町の発展の始まりだったにも関わらず、
今はほとんど痕跡がない
道三堀の名残を探しに
歩いてみました。
江戸は1590年の徳川家康の入封以来、
開拓が進められて今に至りますが、
元々は低湿地が広がる未開の土地で
作物を育てることも、
水を確保することも
ままならなかったそうです。
そんな江戸の開拓で、
最初に家康が取り組んだのは
江戸城に物資を運ぶための運河の開削で、
その中でも道三堀が
一番初めに造られました。
道三堀が造られることによって、
「小名木川」を経由して、
江戸城と行徳を直結させることに
大きな意味がありました。
当時、行徳は関東最大の製塩地で、
生活必需品でもあり、
貴重な軍需物資でもあった塩を
安定的に運ぶことは重要だったからです。
道三堀は1909年(明治42)に
埋め立てられるまで存在していたそうで、
歴史・時代小説を読んでいると
頻繁に登場します(笑)
具体的には下記のルートをお散歩しました。
和田倉濠
東京銀行集会所跡(辰ノ口跡)
道三橋跡
銭瓶橋跡(推定)
一石橋
道三堀は【2】~【4】ですが、
運んできた船荷を
【1】の和田倉濠にあった
和田倉に保管していました。
【2】の東京銀行集会所跡の辺りは、
当時「辰ノ口」と呼ばれ、
内濠から道三堀に水が注がれる
場所でもありました。
【2】の辰ノ口を出発し、
【3】の道三橋を通って、
【4】の銭瓶橋を過ぎると
日本橋川に合流し、
現在も存在する【5】の一石橋を過ぎて、
行徳へとつながります。
長くなってしまいますが、
次回以降にもう少し細かく
見ていければと思います。
お付き合いいただけましたら
嬉しいです。
●参考●
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