●今回のお散歩(東京・丸の内)●
丸の内初のオフィスビル『三菱一号館』の長期休館前に館内の美術館、カフェ、建物を中心にお散歩をしました。
1.【ランチ】ブラッスリーオザミ 丸の内
2.【美術館】三菱一号館美術館
3.【お散歩】三菱一号館《本ページ》
4.【カフェ】Cafe 1894
こんばんは!
都内在住アラフィフ主婦のnicoです。
ひとり時間を楽しんでいます。
前回に引き続き、
東京・丸の内にある
三菱一号館についてですが、
今回は建物に焦点を当てたいと思います。
ちなみに館内にある美術館で
現在開催中の展覧会終了後、
今年4月10日~2024年秋頃まで
修繕のために長期休館となり
囲いもされて、
しばらく見られなくなるそうです。
ご興味があれば、
早めに行かれることをおすすめします。
●nico's favorite points●
●日本近代建築の父、ジョサイア・コンドル設計の建造物を忠実に復元
●丸の内で最初のオフィスビル
●同じような煉瓦造りのビルが建っていた「一丁倫敦」と呼ばれる当時の街並みを想像できる
●現在は美術館として利用され、カフェや歴史資料室も併設
そもそも丸の内は
江戸城の内濠と外濠に
囲まれた城郭内を指し、
大名屋敷が集中していました。
上の写真は「大名小路」から
撮影していますが、
この通りに諸大名が表門を構えて
いました。
しかし、
明治維新後、
江戸城は皇居となり、
多くの大名屋敷が取り壊され、
大半が陸軍の施設に変わります。
さらに、
1877年(明治10)の西南戦争以降、
状況が安定してくると、
皇居周辺を固めていた陸軍は
より広い土地へ移転することになりました。
1890年(明治23)、
原野となった丸の内を購入したのが、
三菱社の2代目社長・岩崎彌之助で、
何もないこの地は
「三菱ヶ原」と揶揄されたそうです。
1894年(明治27)に上の写真の通り、
「大名小路」と「馬場崎通り」の角に
ポツンと三菱一号館が
竣工されたそうです。
設計は「日本近代建築の父」と呼ばれた
ジョサイア・コンドルでした。
1877年(明治9)に日本政府の要請により、
お雇い外国人の一人として
英国から来日しました。
コンドル来日前は、
本格的な建築家は日本にはいなかったため、
来日早々に「上野博物館」(1881)や
「鹿鳴館」(1883)などの
国家的な建築を手掛けました。
同時に日本人建築家の教育も求められ、
教授として、
日本銀行や東京駅などを設計した
辰野金吾や
赤坂離宮などを設計した
片山東熊など、
近代の代表建築家を多数育成しました。
お雇い外国人としての契約終了後、
三菱会社顧問となり、
丸の内で初のオフィスビルとなる
三菱一号館を設計しました。
19世紀後半の英国で流行していた
イギリス・ヴィクトリア時代の
クイーン・アン様式が用いられています。
上の写真の皇居へ通じる
馬場崎通り沿いは、
同じ様式のオフィスビルが
次々と建設され、
1911年には一三号館まで
建てられたそうです。
その街並みは
「一丁倫敦」
と呼ばれるようになりました。
東京駅も同じ様式ですね。
丸の内の都市計画の出発点と言える
貴重な建築物であり、
重要文化財の最有力候補と言われましたが、
戦後の高度経済成長の中で、
赤煉瓦ビルはどんどん近代的なビルに
建て替えられたそうで、
1968年(昭和43)に三菱一号館も
解体されてしまいました。
しかし、
資料などから詳細な調査を行って、
当時の姿を忠実に復元したのが、
現在、三菱一号館美術館として
生まれ変わった建物です。
外観だけでなく、
内観も忠実に復元されているそうで、
3階展示室の暖炉、
中央階段、
小屋裏と煉瓦壁、
鉄骨階段(上の写真)など、
見所がありました。
さいごに
今の丸の内から原野だったことは
なかなか想像ができませんが、
三菱一号館が復元したおかげで
明治期のオフィス街は想像できました。
忠実な復元によって、
建物全体で明治期の趣を感じられました。
●Information●
三菱一号館(歴史資料室)
●電話 | 03-5777-8600 |
●住所 | 東京都千代田区丸の内2-6-2 三菱一号館美術館1F |
●交通 | JR「東京駅」丸の内南口 徒歩5分 |
JR「有楽町駅」国際フォーラム口 徒歩6分 | |
※上記以外にもメトロや都営、バスなど多数あります。 | |
●開館時間 | 10:00~18:00 |
●休館日 |
毎週月曜、年末年始 |
●予約 | なし |
●入館料 | 無料 |
●開館時間や休館日などは変更となる場合がありますので、詳細は施設にご確認ください。 |
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