こんばんは!
都内在住アラフィフ主婦のnicoです。
ひとり時間を楽しんでいます。
今年2月に行った
奈良ひとり旅を少しずつご紹介しています。
初めての長期滞在で
気の向くままに過ごす気まぐれ旅ですが、
お付き合いいただけましたら嬉しいです😊
石上神宮参拝についてご紹介しました ↓。
hitorijikan-nico2.hatenablog.com
今回は奈良観光でも超定番で
『東大寺』へ行きましたが、
南大門以外はあまり混んでいない
ひっそりした場所を巡ってきました😊
まずは東大寺の正門である
国宝「南大門」から境内へ。

国家の一大プロジェクトとして
建立された大寺院で、
メインスポットである大仏殿は
世界最大級の木像建造物です。
南大門はその大仏殿にふさわしい
国内最大級の山門。
創建当初の門は台風で倒壊したため、
重源上人(ちょうげんしょうにん)によって
再建されました。
重源が中国の宋から持ち帰ったとされる
大仏様(だいぶつよう)という
建築様式が採用されています。
大仏様は豪放な表現が一般になじみにくい、
技術的に困難があるなどの理由で
重源の死後は用いられなくなり、
数少ない遺構の一つでもあります。

南大門も素晴らしいのですが、
今回の訪問は
南大門の竣工とともに安置された
国宝「金剛力士像」が目的でした。
これまた国内最大の仁王像。
造像には運慶一門が携わっており、
唯一の運慶・快慶合作の仏像です。
今でこそ有名な運慶・快慶ですが、
当時の主流は皇室や貴族と強いつながりを持つ
京都の円派や院派と呼ばれる仏師たちでした。
奈良の運慶率いる慶派は
ずっと円派や院派の下請け作業のようなことを
していました。
鎌倉時代になってようやくメイン事業に
携われるようになっていきます。
背景には
貴族社会から武家政権へと移り変わる中で、
慶派が早くから有力武士と関係性を
築いていたことが考えられます。
以前に小説『荒仏師 運慶』(梓澤要)を読んで
以上のことを知り、
ぜひともこの金剛力士像を観たいと思いました。


ちょっとわかりにくいですが、
金剛力士像の写真です ↑。
6世紀に仏教が伝来した後、
仏像は中国や朝鮮半島の
仏像様式を模して造像されていましたが、
定朝(じょうちょう)という仏師が
優美で穏やかな表現を特徴とする
日本独自の和様彫刻を完成させました。
慶派は定朝の流れをくんでいますが、
定朝の手法に加えて
奈良時代の彫刻や宋の様式も取り入れて、
写実的で力強い表現をしています。
近年の解体修理で
像内から詳細が書かれた資料が
見つかったそうですが、
阿形は運慶・快慶が
吽形は定覚・湛慶(運慶の息子)が担っていたと
書かれていたそうです。
しかし、
作風から阿形が快慶で吽形が運慶を
中心として造られたのではないか
という専門家の見方もあり、
阿形・吽形の違いに着目してみるのも
面白いかもしれません。
また、
本像はわずか2か月程で造られたということも
明らかになったそうで驚きです😱
南大門は入場料などもなくふらっと行けるので、
興味のある方はぜひ足を運んでくださいませ。
この後、
大仏殿を横目に見ながら
二月堂参詣道を進みました。



二月堂参詣道の突き当りには
国宝「法華堂(三月堂)」が
見えてきました。
奈良時代に建立された
東大寺最古の建物です。
(ふくうけんさくかんのん)を始め、
堂内の天平文化を代表する仏像群を
一度は観てみたいと思いながら、
今回はパスして北進。
奈良時代から続く行事「お水取り」で有名な
国宝「二月堂」が近くにありますが ↓、
今回はこれも横目で見るだけで素通り。

それにしても
南大門の周りにはたくさん人がいたのに、
ちょっと裏手に回ると人が少ない。
人混みは苦手なので
嬉しい限りなのですが、
こんなに国宝が並んでいるのに
もったいなくも思います…。
一人でのんびりと
大仏殿の周りをぐるっとお散歩しながら、
次の目的地に向かいました ↓。
hitorijikan-nico2.hatenablog.com
(つづく)
南大門~法華堂~二月堂
※二月堂を目的地にすると迂回ルートで示されるので「あかいや」をマークしていますが二月堂の前です。
●参考●
「東大寺」ウェブサイト
「カラー版 日本仏像史」水野 敬三郎、美術出版社
最後までお読みいただき、
ありがとうございました!