こんばんは!
都内在住アラフィフ主婦のnicoです。
ひとり時間を楽しんでいます。
前回に引き続き、
【大阪・奈良】
夫婦ふたり旅についてです。
hitorijikan-nico2.hatenablog.com
お昼を挟みながら、
かなり見応えを感じていましたが、
今回のメインテーマ
「聖徳太子ゆかりの地」を
巡るとなれば、
まだまだ行きたい所がありました。
北へ徒歩15分程の場所にある
『法輪寺』へ。
622年(推古天皇30)に
(やましろのおおえのおう)と
孫・由義王(ゆぎおう)が
太子の病気平癒を願って建立したとも
伝えられているお寺です。
それにしても長閑。
多くはないですが、
法隆寺の近辺には
それなりに観光客がいたのに、
『法輪寺』へ向かう道には
人っ子一人いませんでした。
静かすぎて
本当にこの道で合っているのか
不安になってきた頃、
ようやく『法輪寺』の南門が
見えてきました。
「三重塔」は
「斑鳩三塔」と言われています。
最大最古の三重塔として
明治時代には国宝に指定されました。
しかし、
創建当時の三重塔は
1944年(昭和19)に落雷により焼失。
全焼だったために
国宝の指定も解除されて
公的援助も見込めない中、
戦後の混乱期、
高度経済成長による物価高騰を経て、
再建は困難を極めました。
当時のご住職であった
井ノ上慶覚(けいがく)師、
息子の康世(こうせい)師と二代に渡り、
募金活動が続けられましたが難航。
地元の方々は『法輪寺』を
「うちの寺」と
親しみを込めて呼んでいましたが、
終戦後に戦地から帰国した方々にとって
三重塔の焼失は故郷を失くしたような
喪失感にとらわれたと言います。
そのような中で、
地元の方々や作家・幸田文氏を始めとする
多くの方の支援を受け、
「最後の宮大工」と言われた
西岡常一棟梁たちのもと、
1975年(昭和50)に
古代の工法により、
焼失前と同じ場所で同じ姿の
三重塔が再建されました。
現在は塔内に焼失時に救い出された
安置されています。
戦後の発掘調査で創建当時は
西に塔、東に金堂が並び、
中門と回廊で囲まれる
「法隆寺式伽藍配置」
だったことがわかっています。
現在の「金堂」は
1761年(宝暦11)に
再建されたものですが、
旧金堂の位置を踏襲し、
ひとまわり小さな大きさになっています。
「講堂」は
「金堂」と同時期に再建されましたが、
1965年(昭和35)に収蔵庫として
耐火耐震の鉄筋コンクリートに
建て直されました。
「金堂」と同じく、
旧講堂の位置が踏襲され、
規模は縮小されています。
現在は元々「金堂」にあった御本尊である
飛鳥時代の仏像など11体を安置し、
間近で見ることができます。
御本尊「薬師如来像」は
唯一・最大のものと言われています。
聖徳太子には4人の妃がいましたが、
その中で最も愛されたと言われる
膳大郎女
(かしわでのおおいらつめ)の
居住地跡だったとも言われてる場所です。
小さなお寺ですが、
斑鳩の里にとても馴染んでいる
お寺でした。
次は世界遺産にも登録されている
「法起寺」に向かいます。
(つづく)
最後までご覧いただき、
ありがとうございました!
●Information●
●電話 | 0745-75-2686 |
●住所 | 奈良県生駒郡斑鳩町三井1570 |
●交通 | JR「法隆寺駅」徒歩35分(タクシー/レンタサイクル有) |
JR「王寺駅(北口)」バス「法隆寺前経由奈良」行き中宮寺前下車徒歩15分 | |
近鉄「筒井駅」バス「王寺方面」行き中宮寺前下車徒歩15分 | |
近鉄「郡山駅」バス「法隆寺方面」行き中宮寺前下車徒歩15分 | |
●拝観時間 | 【3月~11月末日】8:00~17:00 |
【12月~2月末日】8:00~16:30 | |
●拝観料 | 大人個人500円など |
●拝観時間などは変更となる場合がありますので、詳細は寺社にご確認ください。 |
●参考●
「法輪寺」ホームページ
「法輪寺」冊子
「法隆寺iセンター」ホームページ
「聖徳太子の寺を歩く―太子ゆかりの三十三カ寺めぐり」(楽学ブックス 古寺巡礼 9)
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