東京ひとり時間

無趣味だったアラ50主婦。「ひとり時間」を楽しんでいる内に充実した日々を送れるようになってきました。そんな日々の記録です。

【大阪・奈良旅】『法隆寺』東院伽藍:聖徳太子の斑鳩宮跡地

こんばんは!

都内在住アラフィフ主婦のnicoです。

ひとり時間を楽しんでいます。

 

今回は数回にわたり

大阪・奈良

夫婦ふたり旅についてです。

hitorijikan-nico2.hatenablog.com

 

法隆寺』西院伽藍の圧倒的パワーで

へとへとになった私たちは

お昼休憩後に復活!

 

法隆寺』の東院伽藍から

旅を再スタートさせました。

 

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《『法隆寺』東院伽藍の入口「四脚門」》©nico



東院伽藍

聖徳太子の住居であった

斑鳩宮跡地にあたります。

 

蘇我氏によって太子一族が滅亡された後、

この地は荒れ果てたままでした。

 

奈良時代739年(天平11)頃、

当時の高僧・行信(ぎょうしん)が

荒廃していたこの地を嘆き、

太子を供養するために

国宝夢殿」(ゆめどの)を建立しました。

 

屋根の上には宝珠が輝く、

東院の本堂である八角円堂です。

 

堂内には本尊として

太子の等身大と伝わる

国宝救世観音像

(くせかんのんぞう)が

安置されています。

 

長い間秘仏とされてきましたが、

1884年(明治17)に

アメリカの美術研究家・フェノロサ

岡倉天心が僧侶たちを説き伏せて

開扉させたそうです。

 

現在は春と秋に特別公開されています。

 

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《『法隆寺』東院の本堂・国宝「夢殿」》©nico

 

夢殿の北側には

重要文化財絵殿・舎利殿

鎌倉時代)があります。

 

1219年(承久元年)の建て替えで

東に舎利殿、西に絵殿、中央に馬道

とされました。

 

舎利殿

聖徳太子が2才の春に東に向って合掌され、

その掌中から出現したという

舎利(釈迦の遺骨)を安置する建物です。

 

絵殿は

聖徳太子の生涯の事跡を描いた障子絵が

納められています。

 

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《『法隆寺重要文化財「絵殿・舎利殿」》©nico

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《『法隆寺』絵殿と舎利殿の間の「馬道」》©nico

 

国宝東院鐘楼」は

袴腰と呼ばれる形式の鎌倉時代の建築で、

梵鐘は「中宮寺」の刻銘がある

奈良時代のものです。

 

袴腰付鐘楼としては

最古の遺構です。

 

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《『法隆寺』袴腰と呼ばれる形式の鎌倉時代の建築、国宝「東院鐘楼」》©nico

 

東院の北にある国宝伝法堂」は

奈良時代の739年(天平11)の建物で

聖武天皇の夫人であった

橘古那可智(たちばなのこなかち)の

住宅を仏堂に改造したものです。

 

当時の住宅建築を伝える

唯一の資料としても

貴重な遺構とされています。

 

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《『法隆寺奈良時代の住宅建築を伝える貴重な遺構、国宝「伝法堂」》©nico

 

事前にお昼休憩を取っておいて正解。

 

東院もなかなか見応えがありました。

 

次は聖徳太子の母である

穴穂部間人皇后ゆかりの

中宮寺」を訪れました。

(つづく)

 

最後までお読みいただき、

ありがとうございました!


●Information●

法隆寺

●電話 0745-75-2555
●住所 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1の1
●交通 JR「法隆寺駅」徒歩20分/バス「法隆寺参道」行き法隆寺参道下車
JR「王寺駅(北口)」バス「国道横田・シャープ前・法隆寺前」行き法隆寺前下車
近鉄「筒井駅」バス「JR王寺駅」行き法隆寺前下車
●拝観時間 【2/22~11/3】8:00~17:00
【11/4~2/21】8:00~16:30
●拝観料 個人一般1500円など
(西院伽藍内、大宝蔵院、東院伽藍内共通)
●拝観時間などは変更となる場合がありますので、詳細は寺社にご確認ください。

 

●参考●

法隆寺」ホームページ

法隆寺」冊子

法隆寺iセンター」ホームページ

聖徳太子の寺を歩く―太子ゆかりの三十三カ寺めぐり」(楽学ブックス 古寺巡礼 9)

 

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