東京ひとり時間

無趣味だったアラ50主婦。「ひとり時間」を楽しんでいる内に充実した日々を送れるようになってきました。そんな日々の記録です。時々家族との時間も書いています。

【湯西川♨️湯治旅】(3)『平家の里』平家の落人伝説を継承する里

こんばんは!

都内在住アラフィフ主婦のnicoです。

ひとり時間を楽しんでいます。

 

前回に引き続き、

栃木県「湯西川・湯治

夫婦ふたり旅について書きます。

 

さて、

今回のお宿

亀の井ホテル 日光湯西川」には

チェックイン前に到着したので、

荷物だけ先に預けて

村内をお散歩することにしました。

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まずは、

お隣の『平家の里』を訪問。

 

湯西川温泉

平家落人伝説の地として

知られていますが、

『平家の里』は平家落人の生活様式

後世に残すためにつくられた里だそうです。

 

村内の茅葺き屋根の民家を移築して、

再現されています。

 

湯治をしながら

平家の歴史に触れられるなんて

私にとってはとても魅力的✨

 

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《【湯西川♨️湯治旅】『平家の里』冠木門の入口》©nico

 

 

平家の落人伝説には諸説あるようですが、

少し平家の歴史に触れます。

 

平家にあらずんば人にあらず」という

言葉もあった程、

一時は栄華を極めた平家一門。

 

しかし、

1185年(寿永4)の

壇ノ浦の戦い源平合戦)で

敗れた後に状況が一変し、

源氏の追っ手から逃れながら四散して

日本各地に隠れ住むようになりました。

 

湯西川については

湯西川の東にある霊峰鶏頂山に

身を隠していた平家の一族が、

厳しい生活の中でも男児が生まれたことで

喜びのあまり幟を上げたところ、

源氏に見つかってしまい、

更に奥地である秘境湯西川まで

命からがら逃げてきたところから

始まったと言われています。

 

それ以来、

この里では端午の節句は一日遅れで祝い、

鯉のぼりはあげない、

鬨を告げる鶏は飼わないという

独自の風習が残っているそうです。

 

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《【湯西川♨️湯治旅】『平家の里』石碑と平家の里の由緒に関する案内板》©nico

 

さて、

『平家の里』はGooglemap上で

たまたま見つけたのですが、

どんな施設か下調べしないまま向かったため

色々謎に包まれている…。

 

まず営業時間をチェック ↓

 

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《【湯西川♨️湯治旅】『平家の里』入口の営業案内》©nico

 

そして、

案内図を見ると意外に広そう ↓

4千坪あるとか。

 

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《【湯西川♨️湯治旅】『平家の里』案内図》©nico

 

チケットは

冠木門の入口から左に向かったところに

受付があるのでそちらで購入します。

 

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《【湯西川♨️湯治旅】『平家の里』受付・チケット販売所》©nico

 

さて、

チケットを買った後、

いよいよ中に入って行くと、

長閑な里の風景が広がっていました。

 

緑の樹々と鳥のさえずり、

さらさら流れる小川に虫の声。

 

それだけで来た甲斐があったと思いました。

 

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《【湯西川♨️湯治旅】『平家の里』長閑な里の風景》©nico

 

里内には8つの茅葺屋根の家があり、

展示やお休み処となっています。

 

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《【湯西川♨️湯治旅】『平家の里』村から移築してきた茅葺屋根の民家》©nico

 

民家の中では当時の生活の様子が

伺えるような展示もありました。

 

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《【湯西川♨️湯治旅】『平家の里』当時の家の中の様子》©nico

 

↓ 冬の暮らしを支えたのが木杓子造り。

 

ブナの木から27の工程を経て作るそうで、

考えるだけで大変そう…

 

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《【湯西川♨️湯治旅】『平家の里』木杓子造りの道具》©nico

 

その他、

平家の歴史や系図などの資料が

展示されていたりしたのですが、

この里の中で一番驚いたことは、

1994年(平成6)に

鎌倉方「源頼朝会」

和睦が実現したとあったこと。

 

1185年の壇ノ浦の戦いから

800年以上経っています。

 

平成になるまで和睦していなかったのか…

という驚きや、

そこまで恨みや対立が深かったのか…とか、

色々考えてしまいますが、

当事者たちがどんな経緯で和睦に至ったのか、

今のところ詳細を知る術がなくわかりません。

 

ただ、

色々検索して辿り着いた

湯西川の平家を継承される方が営む

湯西川温泉 本家伴久」というお宿の

楽天トラベルのページを見ると、

和睦式の前夜祭が当館で行われたことが

書かれており、

最初は八百年前の敵同士とあって、

緊迫感がありました」とあるので、

重い雰囲気で行われたことを想像します。

 

部外者が簡単にわかることではないのかもしれません。

 

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《【湯西川♨️湯治旅】『平家の里』平成6年に交わされた源平の和議の書》©nico

 

神宮もありました。

 

下関赤間神宮

壇ノ浦の戦いで平家一門と共に

壇ノ浦に身を崩じられた

安徳天皇(8歳)を祀る神社です。

 

里内の湯西川赤間神宮

日本で唯一分祀された崇高なお宮だそう。

 

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《【湯西川♨️湯治旅】『平家の里』安徳天皇を祀る湯西川赤間神宮》©nico

 

湯西川に伝わる味をいただける

よろず贖いどころ」も

あります。

 

湯西川で生産された

農産物や自然食品などを中心に

飲み物や甘味、

お土産などが売っていました。

 

休憩を兼ねておやつタイムを取り、

そばがきとちもち

いただきました。

 

そばがきは

栃木県産の香り高いそば粉で

作っているそうで、

もちもち食感がたまらない。

 

とちもちは

栃木の県木・栃の実をまぶして

入れているそうで、

きな粉もたっぷりかかっています。

 

どちらも素朴な味わいでしたが、

また食べたくなる飽きの来ない味で

とても美味しかったです。

 

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《【湯西川♨️湯治旅】『平家の里』「よろず贖いどころ」で素朴な味わいの里のおやつ》©nico

 

よろず贖いどころ」から

出口に向かう途中に

平家塚」がありました。

 

湯西川を安住の地と定めた

平家一族や家臣などが

武具や金銀財宝を埋めた場所だと

伝えられており、

7つの塚が点在しているそうです。

 

先祖代々に渡り神域と崇められ、

今でも子孫によって

大切に保存伝承されています。

 

よく見ると、

五輪塔が建てられています。

(↓ 写真左下)

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《【湯西川♨️湯治旅】『平家の里』里内から見た「平家塚」》©nico

 

後日気づいたのですが、

「平家塚」は平家の里の外から見た方が

わかりやすかったです ↓

 

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《【湯西川♨️湯治旅】『平家の里』の外から見た「平家塚」》©nico

 

あ~本当に美しい里。

 

ここら辺は新潟などと同じ

豪雪地帯だそうなので、

実際は厳しい自然との戦いも

あると思うのですが、

こんな所に住めたらなぁと

人工物に囲まれた生活をしている

東京人としては憧れてしまいます。

 

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《【湯西川♨️湯治旅】『平家の里』自然豊かな美しい里》©nico

 

次回は温泉街に向かう途中で

立ち寄った場所についてご紹介します。

(つづく)

 

hitorijikan-nico2.hatenablog.com

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最後までお読みいただき、

ありがとうございました!

 

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