こんばんは!
都内在住アラフィフ主婦のnicoです。
ひとり時間を楽しんでいます。
引き続き、
「大阪・奈良」
夫婦ふたり旅についてです。
hitorijikan-nico2.hatenablog.com
初日の観光は夫と別行動。
私は「四天王寺」を訪れていましたが、
拝観時間も終わろうとしていたので、
そろそろかなぁと思って連絡をしてみたら、
夫はまだ観光中とのこと。
なので夫を待ちながら、
Googlemapを見て気になっていた
『天王寺公園』に
行ってみることにしました。
公園内には動物園に美術館、
庭園やショップにカフェなど、
色々とあるのですが、
ここで行きたいのは大阪の陣で有名な
「茶臼山古戦場跡」。
我ながら「趣味が渋くなったな…」と
思います😅
「四天王寺」の石鳥居(西門)からは
徒歩10分程。
「茶臼山」は標高26mの
小高い丘といった感じで、
ハイキングとまでは行かずに
お散歩がてらに登れる高さですが、
写真で見るよりも斜面が急なので
歩きやすい靴がいいと思います。
また、
元々は何であったかについては
2つの説があるそうです。
一つは5世紀築造の
前方後円墳だったという説。
もう一つは788年(延暦7)に
和気清麻呂(わけのきよまろ)が
運河を掘ろうとしたけど中断し、
掘り出した土を積み上げたという説です。
1614年(慶長19)
1615年(慶長20)
本陣になりました。
小高い丘に堀があるので、
布陣には抑えたい場所だったと
想像します。
夏の陣で茶臼山は大激戦地となり、
幸村は家康の首に迫る大激闘の末に
敗れますが、
幸村の捨て身の攻撃に家康本陣は大混乱し、
家康は2度も自刃を考えたと言います。
合戦後に家康は
茶臼山の山頂で戦勝を祝したそうですが、
これに敬意を表して、
江戸時代は禁足地とされました。
山頂はそんなに広くありません。
石碑や案内板などがありますが、
どちらかというと勝った家康ではなく、
幸村についての説明や
幸村が残した名言といった案内がほとんどで
幸村を讃える場所のように感じました。
茶臼山から南に下ると、
大阪夏の陣の布陣が描かれた
案内板がありました。
兵力の差や配置がわかりやすいです。
茶臼山の南側には濠の痕跡である
「河底地」があります。
↓ こんもりと小高い茶臼山と
その下に広がる河底地。
向かって右に写る赤い橋は
上述の説にある和気清麻呂の名にちなんだ
「和気橋」です。
徳川軍と幸村率いる豊臣軍が
死闘を繰り広げた激戦地でした。
今回は行きませんでしたが、
負傷した幸村が逃れて来て戦死した
「安居神社」など、
近くには幸村ゆかりの地が
たくさんあります。
詳細は大阪市ホームページを
ご参照ください。
予定にはなく、
思いがけずに寄った天王寺公園でしたが、
ちょうど旅行直前に録画していた
NHKの番組「歴史探偵」で
観ていたので、
どういう戦いだったか想像ができて
熱い気持ちになりました。
この後、
天王寺公園を突っ切って
天王寺駅の方へ向かおうと思ったのですが、
公園内は通れない場所があって
思うように進めず誤算。
やっと抜け出せたと思ったら、
ド派手な歓楽街にいたので
ご紹介します。
(つづく)
最後までお読みいただき、
ありがとうございました!
●Information●
●電話 | 06-6773-0860(9:00~17:00) |
●住所 | 大阪市天王寺区茶臼山町1-108 |
●交通 | JR・メトロ「天王寺駅」徒歩5分 |
●営業時間 | 7:00~22:00(一部24時間営業) |
●料金 | 無料(施設により有料) |
●営業時間などは変更となる場合がありますので、詳細は施設にご確認ください。 |
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