東京ひとり時間

無趣味だったアラ50主婦。「ひとり時間」を楽しんでいる内に充実した日々を送れるようになってきました。そんな日々の記録です。

【大阪・奈良旅】『四天王寺』聖徳太子建立、最古級の建築様式を伝える中心伽藍

こんばんは!

都内在住アラフィフ主婦のnicoです。

ひとり時間を楽しんでいます。

 

前回に引き続き、

大阪・奈良

夫婦ふたり旅についてですが、

ひとり時間です。

hitorijikan-nico2.hatenablog.com

 

天王寺駅そばのレトロな食堂

すゑひろ』で

腹ごしらえをした後は、

目的地に向かいました。

 

実はここで夫と意見が割れてしまい、

私は『四天王寺』へ、

夫は『大阪城』へと

別行動を取ることにしました。

 

こういう時に我慢しないで

別行動できるのが嬉しい😊

 

天王寺駅前玉造筋から

南門筋に入ってまっすぐ行くと、

(徒歩約10分)

四天王寺南大門

見えてきます。

 

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《『四天王寺』南大門》©nico

 

593年(推古天皇元年)、
四天王寺聖徳太子によって

建立されました。

 

聖徳太子ゆかりの

七大寺」の一つで、

日本初の官寺です。

 

nico's memo:

七大寺
聖徳太子が建立したとされる寺院は各地にあるが、その中でも太子に関りの深い7つの寺院。四天王寺法隆寺法起寺中宮寺、橘寺、葛木寺(現存せず)、広隆寺
参照:日本歴史旅行地図帳 成美堂出版編集部
官寺
私寺に対する称で、伽藍造営・維持・管理を国家が行う寺。
参照:コトバンク

 

日本に仏教が伝来されたのは

538

(552年など諸説あり)。

 

当時仏教を受け入れるということは

最新の技術や文化を取り入れる

ということでもありました。

 

積極的に受け入れるべきと主張した

蘇我氏を中心とする崇仏派

異国の神を祀れば

古来からの国神の怒りを招くと主張した

物部氏を中心とする廃仏派

対立します。

 

587年、

崇仏派・蘇我馬子(そがのうまこ)と

廃仏派・物部守屋(もののべもりや)の

丁未の乱(ていびのらん)に発展し、

蘇我氏の勝利に終わります。

 

日本書紀』によれば、

この戦いで蘇我氏側についた聖徳太子

形勢の不利を打開するために、

自ら四天王像を彫り、

この戦いに勝ったら、

四天王を安置する寺を建てる」と誓願し、

その誓いを果たすために、

物部守屋が支配していた民と屋敷地を当てて

四天王寺が建立されたそうです。

 

中門、五重塔、金堂、講堂のある

中心伽藍の拝観

西側の「西重門」から入ります。

 

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《『四天王寺』中心伽藍の入口「西重門」》©nico

 

伽藍(寺の建築物)の種類や配置は

時代や宗派によって変化があります。

 

四天王寺伽藍は日本最古の様式の一つで

その源流は中国・朝鮮半島に見られ、

6~7世紀の大陸の様式を伝える

貴重な建築様式

 

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《「四天王寺式伽藍配置」
出典:四天王寺公式ホームページ(https://www.shitennoji.or.jp/)

 

↑ 四天王寺公式ホームページより、

四天王寺式伽藍配置」の図をお借りしましたが、

中門、五重塔、金堂、講堂が

南北に縦一列に並び、

中門と講堂を左右の回廊が結ぶ様式です。

 

仏舎利を納めた五重塔を中心に

整然と並んでいるのが、

飛鳥・奈良時代の伽藍様式の特徴です。

 

時代が進むにつれ、

本尊を祀る金堂が中心となったり、

学問的性格が強まると

講堂が中心となったりします。

 

ちなみに四天王寺五重塔

舎利塔が奉安されている5重目まで

細い階段で上ることができ、

ぜーぜーと息を切らしながら

上りました😅

 

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《『四天王寺五重塔、金堂、講堂が縦一列に並ぶ中心伽藍》©nico

 

四天王寺では太子が

社会救済の場として

四箇院制度(しかいんせいど)を

取り入れられました。

 

四箇院とは

寺院:敬田院(きょうでんいん)

薬局:施薬院(せやくいん)

病院:療病院(りょうびょういん)

福祉施設悲田院(ひでんいん)

の4 つを指し、

現在もその事業が継承されているそうです。

 

ちなみに「悲田院」は

天王寺駅前の地名として残っています。

 

また、

聖徳太子は仏教興隆や社会事業だけではなく、

護国」の意味も込められたと

言われています。

 

四天王寺の近くには

当時の日本の玄関口だった難波津があり、

外国使節が往来していました。

 

百済高句麗新羅の三国が対立して

緊迫する朝鮮半島情勢に対応して、

四天王寺に大伽藍を建て

国威を示されたそうです。

 

四天王寺が建立されたのが、

593年ですから、

608年に難波津に入った

中国王朝から日本に派遣される

初の公式使節裴世清

目にしたと思うと感慨深いです。

 

残念ながら、

伽藍は度重なる戦災や天災に見舞われて

ほとんどが焼失しており、

多くは昭和時代に再建されたものですが、

創建当時(飛鳥時代)の様式が

忠実に再現されています。

 

また境内には

聖徳太子の御霊を崇る

太子殿(聖霊院)があったり、

500点あまりの

国宝・重要文化財を所蔵する

宝物館もあったりします。

 

次は意外な発見があった

太子殿とその周辺をご紹介します!

(つづく)

 

最後までお読みいただき、

ありがとうございました!

 


●Information●

四天王寺

●電話 06-6771-0066
●住所 大阪市天王寺区四天王寺1 丁目11 番18 号
●交通 JR・メトロ「天王寺駅」徒歩12分
メトロ「四天王寺前夕陽ヶ丘駅」徒歩5分
近鉄阿部野橋駅」徒歩15分

●拝観時間

 

【4月~9月】8:30~16:30(お堂・中心伽藍・庭園)
※毎月21 日・会中8:00 ~7:00
【10月~3月】8:30~16:00(お堂・中心伽藍・庭園)
※毎月21 日・会中(10月を除く)8:00 ~16:30
※お堂の外からのお参りは24時間
●拝観料 【中心伽藍】大人個人300円など
【庭園】大人個人300円など
【宝物館】大人個人500円など
●拝観時間などは変更となる場合がありますので、詳細は寺社にご確認ください。

●参照●

四天王寺ホームページ

聖徳太子の寺を歩く―太子ゆかりの三十三カ寺めぐり (楽学ブックス 古寺巡礼 9) 

hitorijikan-nico2.hatenablog.com

 

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