東京ひとり時間

無趣味だったアラ50主婦。「ひとり時間」を楽しんでいる内に充実した日々を送れるようになってきました。そんな日々の記録です。

●ひとり時間に重要文化財巡り●東京:日本の建築の近代化について

こんばんは!

都内在住アラフィフ主婦のnicoです。

ひとり時間の楽しみ方を模索しています。

 

最近、江戸時代末期から昭和初期まで

日本の建築について

興味を持つようになりました。

 

きっかけは、

昨年末に日本橋をお散歩した時に、

重要文化財に触れたことでした。

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日本橋室町の重要文化財:左手前は三越日本橋本店、左手奥は三井本館》©nico

 

何も考えずに

気になる建物の写真を撮って

後で調べてみたら、

たまたま重要文化財だっただけなのですが、

その歴史や物語を知ると

どんどん面白くなってきました。

 

江戸時代末期以降、

欧米列強のアジア進出に伴い、

日本も開国を迫られ、

変化の激しい時代へと突入していきます。

 

単純に考えても、

200年続いた鎖国

および700年続いた武家社会が終わって、

急に西欧文明を取り入れようと

方向転換したのですから、

激動の時代だったと思います。

 

時代の変化と共に

日本の建築も近代化

が推し進められました。

 


【江戸時代末期】和洋折衷の建築が増加

1853年(嘉永6)、

アメリカのペリー

日本に開国を要求するために

黒船艦隊4隻を率いて

浦賀に来航。

 

治外法権」「関税自主権の欠如」など、

日本が長く苦しむことになる

不平等な条約を結び、

約200年続いた鎖国が終わります。

 

また、開国と同時に多くの外国人が

来日するようになり、

日本の大工によって和洋折衷の建築、

擬洋風建築

少しずつ建てられるようになりました。

 

下の絵は明治期の建築物ですが、

擬洋風建築の代表作

と言われる第一国立銀行(現みずほ銀行

の建物を描いた小林清親の浮世絵

海運橋(第一銀行雪中)」です。

 

第一国立銀行1873年(明治6)に

開業した日本初の銀行で、

設計・施工は清水建設創業2代目

清水喜助でした。

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小林清親の浮世絵「海運橋(第一銀行雪中)」1876年(明治9)》

 


【明治時代】折衷様式を脱した西洋建築、構造面では欧米レベルに近づく

 

明治維新後、

当時の日本を取り巻く国際情勢から、

明治政府は積極的に欧米文化を取り入れ、

文明開化

時代の代名詞ともなりました。

 

建築物の近代化についても

政府主導推進されました。

 

西欧列強のアジア進出に際し、

対等な関係を築き、

旧幕府が結んだ

不平等条約の改正を目指すために

文明国であることをアピールする

必要があったからです。

 

海外からコンドルなどの

建築家が招かれ、

鹿鳴館など主要な建物の

設計・建築と同時に、

日本人建築家の育成も行われました。

 

コンドルを師事した

辰野金吾らは日本銀行など、

折衷様式を脱した西洋建築

手掛けていきます。

 

1890年代には

当時の先端技術であった

鉄筋コンクリートを採用した建物も造られ、

日本の建築は欧米のレベルに近づきます

 

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日本橋:国指定重要文化財日本銀行本店(1896年(明治29)竣工)》©nico

 


【大正、昭和初期】軍国主義により世界の潮流とは異なる都市建築

1920年代の世界の近代建築

装飾性のない機能性重視の様式

主流となりました。

 

ドイツのヴァルター・グロピウス

スイスのル・コルビジェ

アメリカのフランク・ロイド・ライト

などが

この時代の代表的な建築家です。

 

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《ドイツ・デッサウ:グロピウスの主要作品であるバウハウス校舎(1925-26年竣工)》

※写真はphotoACよりお借りしてきました。

 

国内にもいくつか現れましたが、

次第に軍国主義に染まり、

古い伝統が復活していった日本では

新しい建築様式は

あまり受け入れられませんでした。

 

そのため、欧米の都市建築が

装飾を切り捨てたのに対し、

戦前までの日本の都市建築

装飾と構造がセットで

設計されていったことが特徴です。

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日本橋:国指定重要文化財の三井本館(1929年(昭和4)竣工)》©nico

 

街歩きをしながら

ひとり時間」を

過ごすことによって、

興味の幅が広がりました。

 

次回以降、日本橋

重要文化財にあたる建造物について

ご紹介していきたいと思いますので、

お付き合いいただけましたら幸いです。

 

nico's memo:

ジョサイア・コンドル(1852-1920)
建築家。お雇い外国人として来日し、工部大学校で辰野金吾や片山東熊らを育て、「日本近代建築の父」と呼ばれる。主要作品は鹿鳴館(1883)、ニコライ堂(1891)、旧岩崎邸(1896)など。

 

辰野金吾(1854-1919)
建築家、工学博士。ジョサイア・コンドルに師事。留学後はコンドルに代わり、工部大学校の教授になった。近代日本の建築界を指導し、数多くの建築家を育成したほか、教育界、建設界にも業績を残している。日本で初めて設計事務所を開設。日本銀行本店(1896)、東京駅(1914)をはじめとする日本近代建築史上重要な作品を手がけている。

 

●参考●

国文学研究資料館ホームページ

日本銀行ホームページ

三井広報委員会ホームページ

コトバンク

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