こんばんは!
都内在住アラフィフ主婦のnicoです。
ひとり時間を楽しんでいます。
先日、東急大井町線の
「下神明駅」付近をお散歩しましたが、
静かな地域にポツポツとお店が
点在している所に
探検好きな私の心がくすぐられました。
後日Googlemapを見ていたら、
江戸時代の「道標」があることを知り、
行ってみることにしました。
正面改札口を出て左に行き、
つきあたりの「仲通り」を右に進みます。
お店が立ち並ぶ場所をどんどん進むと、
T字路に庚申堂が見え、
向かって左側に
石造の道標が建っていました。
知らなかったら通り過ぎそう…
『天明三年銘道標』は
1783年に造立された駒形道標だそうで、
中原街道と池上道を結ぶ
「中通り」(仲通り?)と、
「光明寺道」の分岐点に建てられました。
光明寺道を示す道標は
品川区内と大田区内に各1基しか
残っていないそうです。
『天明三年銘道標』から
更に「仲通り」を馬込方面に進むと、
「あれ~」と思うほど
不自然に道幅が広がってきて、
五叉路に着きます。
注意して見ると
『天保二年銘道標』があります。
これまた更に小さくて
知らなかったら絶対通り過ぎてる…
1831年に造立された
角柱型石造道標だそうで、
中原街道と池上道を結ぶ
「中通り」(仲通り?)と、
品川と府中を結ぶ
「品川道」の交差点に建っています。
五叉路を左に曲がり、
「西大井」方面に進んでみたところ、
第二京浜にぶつかる手前の
マンションの脇に
「中六桜広場」という
小さな公園がありました。
何気なく見ていたら、
「品川道」の案内板が出ていました。
(しながわみち)
自分が「品川道」を歩いていることが
わかっていなかったので驚くと同時に、
この「品川道」が「品川」から
続いていることをここで知りました。
現在も府中の大國魂神社の大祭は
品川沖からお浄めの海水を
汲み取るところから始まるそうです。
品川が古来より結ばれていたことに
衝撃を受けて、
「品川道」が気になり始めました。
ずんずん道を進んで行きました。
古くから存在していた道なのに
お店などがほぼ無くて、
「驚くほど何にも無いな~」と
思いました。
以前も旧中原街道を歩いたことが
あるのですが、
やっぱりお店は多くなかった
記憶があります。
町割りによって宿場町などの
決まったエリアしかお店がなく、
その後も発展しないなどの
何か理由があるのでしょうか???
細い道の割には車の交通量は多いけど、
「お店がない」ということに
たくさん「?」を浮かべながら歩いていたら、
突如緑の濃い「何かありそう」な
雰囲気の場所を発見。
何だろうと思って見ると、
意味ありげな門構え。
地図を拡大して確認してみると、
だということがわかりました。
普段は一般公開されていなのですが、
毎年11月頃に限定公開されるらしいです。
「西大井駅」の近くの線路を渡り、
「光学通り」に入って行きました。
「光学通り」の名前の由来は
ニコンの旧社名
「日本光学工業株式会社」だそうです。
この辺りに区内最古の
『元禄八年銘道標』があると
地図を見て知ったので探しましたが、
見つからずに何度も道を往復してしまいました。
近くで大きな工事をしていたので、
同じ誘導員の方の前を何度も通り、
「このオバサン、どうしたんだろう?」と
思われてるかな…とか恥ずかしくなりながら、
一本道をウロチョロウロチョロ。
地図をもう一度よく見ると、
なんと道の反対側にありました!!
自分のドジさ加減にうろたえ、
顔が熱い…
色々恥ずかしい…
そそくさと道を渡り、
区内最古の
『元禄八年銘道標』を発見!
1695年に造立された道標です。
(品川道のことでいいのかな?)、
建てられたとのことです。
さいごに
割と静かなエリアが多い
東急「大井町線」沿いは
穴場が多いのではないかと目論見、
Googlemapを見ていた時に
史跡として「道標」があることに
気づきました。
道標が3つも徒歩圏内にあったので、
見に行ってみよう!という
思い付きのお散歩でした。
が、色々な道の分岐点に建てられている
「道標」をきっかけに、
昔の人がどんなルートで
どこに行ったかなど想像しながら、
地図を見ることの楽しさも覚えました。
地図上で史跡を探すことも面白いです。
興味が乱雑に増えていって
本当にこれでいいのかしら…?と
思う気持ちもあるのですが、
「楽しいからいいっか~」に
落ち着きました。
最後までお付き合いくださり
ありがとうございます✨
〇ご参考:今回歩いたルートは移動だけで約25分、2kmが目安です。
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