東京ひとり時間

無趣味だったアラ50主婦。「ひとり時間」を楽しんでいる内に充実した日々を送れるようになってきました。そんな日々の記録です。

【お散歩】『丸の内仲通り』と『丸の内ラグビー神社』

こんばんは!

都内在住アラフィフ主婦のnicoです。

ひとり時間を楽しんでいます。

 

先日、有楽町から大手町に至る

丸の内仲通り」を

お散歩しました。

 

1.2kmの「丸の内仲通り」は

街路樹の緑も気持ちいいですし、

有名ブランド店やセレクトショップ

眺めながらのお散歩は楽しいです。

 

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《『丸の内仲通り』オフィスや有名ブランド店、カフェなどが並ぶ通り》©nico

 

丸の内エリアは

大手企業の本社も多い

世界有数のオフィス街ですが、

明治時代には何もない荒野

となっていた時期もあったそうです。

 

今の様子からは想像もできませんが、

丸の内の歴史を下記に簡単にまとめたので、

ご参照ください。

nico's memo:

《丸の内の歴史》

江戸時代
江戸城郭の内側」に位置していたことが地名の由来。有力大名のお屋敷が立ち並んでいた。
明治時代
幕末1855年安政の大地震で被災したり、明治以降に大名家が解体されたりして、利用価値のない土地となる。1894年(明治27)、三菱財閥が半ば強引に土地の払い下げを受ける。イギリス人建築家、ジョサイア・コンドル氏設計の「三菱一号館」を起点に次々とオフィス棟を建設。「一丁倫敦」(いっちょうろんどん)と呼ばれるオフィス街になる。
大正時代
1914年(大正3)、東京駅が開業されると更に整備され、「一丁倫敦」の北側が開発される。アメリカ式の巨大オフィスビルが建造され、「一丁紐育」(いっちょうにゅーよーく)と呼ばれるオフィス街になる。

平成時代
2000年代に入ると、三菱グループによって大規模な再開発が進み、高層ビルや博物館、高級ブランド店、ホテルなどが進出。文化とファッションの発信地に。

 

現在は

イベントなどが行われているエリアもあり、

様々な試みがされているようです。

 

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《『丸の内仲通り』「Marunouchi Street Park」様々なイベントが行われるエリア》©nico

 

訪問時はラグビー日本代表選手に

ちなんだものが色々と置かれていました。

 

にわかファンの私も

9/10のチリ戦を見たばかりだったので、

気分が上がりました。

 

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《『丸の内仲通り』ラグビー日本代表選手:(中)堀江選手とリーチ選手の手形とサインのベンチ、(下)リーチ選手の像》©nico

 

そして、そして、

なんと丸ビルの裏に

神社まで見つけました。

 

丸の内ラグビー神社

 

関西ラグビーの発祥の地である

ラグビー神社「雑太社」(さわたしゃ)の

神様をお祀りしているそうです。

 

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《『丸の内仲通り』丸の内ラグビー神社》©nico



当神社ではラグビーを通じて生まれる

人とのつながりや出会いを

ラグビーに因んで「楕円のご縁

と呼んでいるそうです。

 

丸の内仲通りは

ウィンドウショッピングをしたり、

イベントを覗いたり、

いつも楽しい場所なので、

何かにつけて通り道に使っているのですが、

今回は最近で一番興奮したラグビー

接することができました。

 

これもご縁かな…と思って、

ウキウキしながらその場を後にしました。

 

最後までお読みいただき、

ありがとうございました!

 

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●参考●

「東京のトリセツ」

「地球の歩き方 東京 23区 2024~2025」

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