こんばんは!
都内在住アラフィフ主婦のnicoです。
ひとり時間を楽しんでいます。
古代史をテーマとした作品を
多く残している作家、
黒岩重吾著
を読みました。
後で知ったのですが、
黒岩氏の遺作となった作品だそうです。
石上朝臣麻呂
(いそのかみあそんまろ)
(=物部連麻呂・もののべむらじまろ)
については
他の作品でちらっと登場していたので、
薄っすらと覚えていました。
目立った存在ではなかったのですが、
数少ない生き残りとして描かれていて
記憶に残っています。
そんな麻呂が主役として
取り上げられていた作品だったので
興味を持ちました。
物部氏と言えば
最初の大和の王者である
初代神武天皇の時代から
大伴氏と共に特に軍事面で
天皇家を支えてきた
古代最大の豪族です。
587年、
戦で敗れて消滅し、
その支族のほとんどが
物部の名を捨てました。
麻呂が物部を名乗れたのは、
石上物部の血筋であり、
蘇我・物部の戦の際に中立の立場を
守ったからでした。
しかし、
辛うじて冠位についたものの、
最下級に近い官人であり、
敗れた氏族という印象が
つきまとっていました。
さらに、
壬申の乱では
近江朝側で最後まで大友皇子に付き従い、
敗者となります。
そんな麻呂が
708年の元明天皇の時代に
臣下としては最高位の
正二位左大臣にまで登り詰めます。
なぜそこまで出世できたのか、
その真相は闇に包まれているそうですが、
黒岩氏によってその経緯が
物語として描かれています。
↓以下ネタバレあります↓
じわじわとしか昇進できない中、
674年に天武天皇が
石上神宮の神宝を改める
と麻呂に伝えてきます。
日本最古の神社の一つである
「石上神宮」は
石上物部氏が管理していた神社。
百済から贈られた
「七枝刀」が祀られていることでも
有名です。
天武朝では
新しい政治を始めるにあたり、
国際的な信仰の文化である
仏教を重視すると同時に、
氏族的・私的な信仰である
「神祇の復活」も
鍵となりました。
天武天皇が命じた
「帝紀」や「上古の諸事」の
編纂にも関係していますが、
「天皇家こそが日本国を支配する神」
であることを記し、
天皇家の地位を一層強固なものにするために
神祇の氏族の復興も必要だったのです。
そして、
石上神宮で保管されている
古代からの各国の神宝は
と言えました。
この頃から麻呂にとって
潮目が変わってきます。
また、
この作品の中で
私にとって新しい視点だと感じたのは、
というだけでなく、
「裏切りの氏族」としても
描かれていた点です。
上述したように物部氏は古豪の名門
という印象しかありませんでしたが、
この作品の中ではその物部氏が
神武東征の際に忠臣の長髄彦を殺して
神武に降伏したため、
生き残るために仲間を裏切った氏族だと
捉えられています。
この二重の引け目が
麻呂の出世の原動力に
なっているとも言えます。
古代最大の内戦とも言われた
壬申の乱の前後である混乱期に、
圧倒的不利な立場にあった麻呂は
何度も困難に直面します。
しかし、
与えられたチャンスには
一心に喰らい付くことで
最高位に登り詰めた麻呂の人生には
学ぶものがありました。
717年、
石上朝臣麻呂は78歳で
亡くなりますが、
当時では群を抜いた長寿で
天寿を全うした平和な死であったそうです。
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